「所為(せい)とおかげさま」

 おはようございます。
6月1日から授業再開となり、7月10日から4日間の期末考査、そして15・16日の実技試験が無事終了しました。
コロナ対策をとりながらの新たな生活習慣の中、日音の生徒や教職員に一人の感染者を出すこともなくここまで来ることができたと感じています。
現在、緊急事態宣言が解除された後も、東京をはじめ周辺の県でさらに多くの感染者が出ているとの報道が日々マスコミから流れてきています。2週間後には夏休みを迎えます。この間、補習や面談、各コースや部活動での練習等で学校に来ることもあると思いますが、あらためて、不要不急な外出を自粛するとともに、学校内だけでなく、普段の生活においても三密を避け、マスク・手洗い・うがいを励行するよう心がけてください。

 さて、皆さん、この言葉「成為」を何と読むか知っていますか?
この言葉は、「せい」と読みます。
「人のせいにする」の所為です。子どもだけでなく大人になってもそうですが、人間は結構わがままで、自分に原因があって謝ればすむことでも、自分の非は認めず棚に上げて、つい、人の所為にしてしまうことがあるのではないでしょうか?
 昔、私が中学校のクラス担任をしていた頃の話です。遅刻してきた生徒に「今日はなぜ遅刻したの?」と訪ねたところ、「親が起こしてくれなかった」「目覚まし時計をセットしたのに鳴らなかった」だから、「起こしてくれなかった親が悪い」「鳴らなかった目覚まし時計が悪い」と言いました。
自分のしたことは棚に上げて、遅刻した理由を「親の所為」「目覚まし時計の所為」にしてしまっているわけですね。
皆さんも似たような経験をしたことがありませんか?
 では、なぜこのように「人の所為」にしてしまうのでしょうか?
私自身も気がつくと反省しなければいけないなと思うことがありますが、人の所為にしてしまった方が気が楽だという自分への甘えがあるのかもしれません。
しかし、自分の非を棚に上げて他人の所為にばかりしていると、あの人は本当にいつもわがままで信用できないと思われてしまいます。自分のあやまちは自分に原因があることを素直に認め「自分に厳しく、他人にやさしい人」になれるよう心がけてください。

 もう10数年前になりますが、「おかげさま」という詩を目にしました。
今日は、その詩の一部を紹介したいと思います。

「おかげさま」
夏が来ると冬がいいという
 冬が来ると夏がいいという
太ると痩せたいといい
 痩せると太りたいという
忙しいと暇になりたい
 暇になると忙しい方がいいという
衣食住は昔にくらべりゃ天国だが
 上を見ては不平不満の明け暮れ
 隣を見ては愚痴ばかり
どうして自分を見つめないのか
 静かに考えてみるがいい
 いったい自分とは何なのか
友だちのおかげ 親のおかげ
 世間様のおかげのかたまりが自分ではないか
つまらぬわがままを捨てて
 自分勝手を慎んだら
 世の中はきっと明るくなるだろう
俺が、俺がを捨てて
 おかげさま、おかげさまで暮らしたい

 以上で、校長講話を終わります。